砂マンダラ@宮島の大聖院(第3回=最終回)
部屋の隅っこのほうでは、気配を消したようなアムド・チャプチャ出身の坊さんが家具?に一心不乱に紋様を描いています。この畳敷きの純和風な部屋全体が、壁も天井もチベカラーに塗り替えられるまで長い長い道のり。チャンパ・トンドル(弥勒大仏)がまつられて再来年、完成するそうです。
長い時間をかけて丁寧につくる砂マンダラですが、完成の儀式をした後、ホウキで掃いて水に流してしまうのがお約束です。
形あるものは、いつかは滅びる
——これぞ仏教って感じでいいじゃないですかー!
けれど、最近は樹脂で固めて展示用に保存することもあります。大聖院でも、去年の薬師如来、一昨年の観音菩薩の砂マンダラが展示されてます。
“諸行無常”的には、そこはかとなく違和感が漂うわけですが……
何でも見世物にしてしまう“ものわかりのよさ”は“堕落”でしょうか?
「残すことにこだわるのはよくないが、壊すことにこだわるのもナンセンス。もし信仰心の支えになるのなら、残しておくのもいいだろう」
カムで会ったあるラマは(英語で)そう言ってました。
「残さないほうが仏教らしい? それは外国人のセンチメンタリズムってもんだ。はっはっは」
何かにつけてああ言えばこう言う理屈っぽいチベット人の坊さんらしい話の持ってき方ではあるよな。
といって思いつきでそう言ったわけじゃなくて、もともと色砂でマンダラをつくること自体は仏教以前のインドの風習で、込み入った儀式・パフォーマンスや理屈は後から付けられたものだという経緯をふまえた上でのお話でした。大切なのは動機のようです。
部屋のラジカセからは、近年チベット圏で大流行の“オムマニペメフム”の歌(Tibetan Incantations)が流れてました。ムードを出そうとしてくれたんでしょうか(笑)
マンダラは無事(当然)完成法要に間に合ったそうです。
おつかれさまでした♪
(おわり)
※おっと、付け足しみたいになって申し訳ないですが、これら一連のチベット仏教関連の行事はすべて、デプン僧院ゴマン学堂の伝統を日本に伝える文殊師利大乗仏教会の尽力によるもの。マンダラ制作にたずさわったのは、日本ではじめてのチベット仏教寺院である、広島・龍蔵院のデプン・ゴマン学堂日本分院の僧侶たちです。
※砂マンダラ制作の模様は、去年や一昨年の分も含めて大聖院の公式サイトで詳細にご覧になれます。