【記事】渡辺一枝・椎名誠夫妻@週刊朝日「平成夫婦善哉」
いま発売中の週刊朝日(2015年1月2〜9日・新春合併号)の連載「平成夫婦善哉」に、『チベットを馬で行く』(文春文庫)でお馴染みの作家・渡辺一枝さん夫妻が登場しています! ていうか一般的には椎名誠さんのほうが有名なのか(笑)。
朝日新聞出版のサイト「dot.」での紹介記事(一部内容の抜粋)は↓
椎名誠の妻は三蔵法師? チベットで4カ月間“行方不明”に
そういえば、このテの総合週刊誌(文春とか)読んだの、超ひさしぶりでしたー。
いま発売中の週刊朝日(2015年1月2〜9日・新春合併号)の連載「平成夫婦善哉」に、『チベットを馬で行く』(文春文庫)でお馴染みの作家・渡辺一枝さん夫妻が登場しています! ていうか一般的には椎名誠さんのほうが有名なのか(笑)。
朝日新聞出版のサイト「dot.」での紹介記事(一部内容の抜粋)は↓
椎名誠の妻は三蔵法師? チベットで4カ月間“行方不明”に
そういえば、このテの総合週刊誌(文春とか)読んだの、超ひさしぶりでしたー。
またまたダライ・ラマ法王のお言葉集が登場!
『心を見つめる言葉』(ダライ・ラマ法王14世=著、黒輪篤嗣=訳、飛鳥新社)
法王のお言葉集はこれまでにも数多出てますが(→参考記事)
今までの類書と違うのは、
ダライ・ラマ法王の公式ツイッター(@DalaiLama)の名言集ということ。
フォローしてますよね?法王のツイッター。
フォロワー数900万以上。
法王のライブ中継情報やお言葉をツイートしてくれるアレです。
過去の約1,000ツイートの中から名言を選んで、
「愛」「心」「生きる」「宗教」などのカテゴリーに分けて紹介しているのがこの本。
まあ元のツイート自体が著書や講演からの引用だと思うので、
あーこれお馴染みのフレーズだ〜というのが結構ありますが、
新たにやさしく翻訳しなおしてくれているので読みやすいですよ。
冒頭に「またまた」と書いてしまいましたが、
世の中の多くの人は法王の存在さえ知らないというのが現状なので、
これからも(いい意味で)人目につく機会があるといいなあと切に願っています。
ちなみに帯の推薦文は谷川俊太郎さんです。
『太陽を取り戻すために チベットの焼身抗議』(中原一博=著)
ブログ『チベットNOW@ルンタ』等を通じてチベットの最新情報を発信し続けている、インド・ダラムサラ在住の中原一博さんが『太陽を取り戻すために チベットの焼身抗議』を刊行した。焼身者124人の記録と分析を通じて、2009年以来続く焼身抗議の全貌と背景を伝える大作(342ページ)。ダライ・ラマ法王の見解や各国の反応もまとめられている。そして、なんと無料で公開されている! 是非ご覧いただきたい。
▼閲覧・ダウンロード先のリンク▼
『太陽を取り戻すために チベットの焼身抗議』(中原一博=著)
https://docs.google.com/file/d/0B6cmrkvyxC23QmhCRTZyeWRrNm8/edit
▼中原さん自身による紹介▼
ネット本「太陽を取り戻すために チベットの焼身抗議」上梓(チベットNOW@ルンタ)
で、著作については実物をご覧いただくとして、昨年、中原さんを紹介してくれた毎日新聞の連載がバラバラで読みにくかったので、リンクをまとめてみた。
『チベット人の民族意識と仏教 その歴史と現在』(ブックレット《アジアを学ぼう》26)
日高俊=著 風響社=刊
オビには「チベット人は銃を取るのか?」。これは本当に知りたい。昔から「取るかも」と主張するグループはあった。当面「取らない」とは思うが、将来はどうだろう。チベット人には確かに仏教の教えが根付いているが、個人レベルでは、暴力による戦いを支持する者も少なくないという印象がある。他国同様、民族対立が火種となった暴力沙汰は巷では起こっているし、生活のためにインド軍や中国軍に志願し、そこそこの戦闘スキルを身につけたチベット人だっている。
しかし、幸か不幸か、こうした武闘派(?)が民族闘争のために有効に組織化されることはなかったようだ。私は浅はかな素人考えから、鉄道や軍事・産業施設を狙った、人を傷つけないテロぐらいは起こるかと思っていたのだが、それさえなかった。一方で広まってしまったのが、自らの身を供養の灯明と化す焼身抗議だ。この自己犠牲による抗議は、徹底して「銃を取らない」抵抗運動の究極の形なのだろうか? と、チベット人自身も困惑している。
本書は約50ページ程度のブックレットだが、中身は濃い。チベット近現代史と、チベット人の民族意識の形成と広がり、そのベースにあるチベット仏教の影響力についてコンパクトにまとめられている。幅広い内容ながら、少ないページ数の中に詰め込んだという窮屈な印象は受けなかった。著者のフィールドワークの成果が随所に盛り込まれており、柔らかすぎず堅すぎない読み物として楽しめる内容となっているからだろう。チベット本土とダラムサラ両方の博物館の展示を対比したあたりは特に。「チベット人は銃を取るのか?」の答えが直ちに導かれるわけではないが、暴力とは正反対の「極端な非暴力」とも言える連続焼身抗議に至ったチベット民族のメンタリティを理解する上で、きっと助けになるはずだ。
本書はチベット仏教をベースに書かれているので、あえて仏教以外の部分には触れていないのかもしれないが、私は焼身抗議については、仏教だけで説明できるとは考えていない。ジャータカ云々というのは、どちらかというと後付けの理由であって、チベットの中でも仏教以前からの信仰が色濃く残る地域ならではのチベタンスピリットの発露に思えてならない。だとしたら、土地から切り離されて、純粋に仏教化が進んだ亡命社会では共感しにくいだろう。ややこしくなるので、こうした私の妄想についてはまたの機会に。
話を戻して、チベットのようなマイナーな分野で、若手研究者たちの活躍はなかなか目にする機会がないため(大御所の活躍さえ目にする機会は少ないのだが)、本書のようなシリーズは貴重だ。西部大開発後のチベットからスタートした研究者の見るチベット像は、私のように80年代ノスタルジーに浸りがちな世代とはまったく違っていることだろう、という意味でも非常に興味がある。もっと発表の場があるといいなあと思う。なお、このブックレットのシリーズでは『インドの「闘う」仏教徒たち 改宗不可触民と亡命チベット人の苦難と現在』(榎本美樹著)も刊行されているので、あわせてお勧めしたい。
『チベット人哲学者の思索と弁証法 月には液体の水が存在する』
ゴラナンバ プンツォク ワンギェル=著 チュイデンブン=訳 明石書店=刊
今週末2月2日、「チベットの歴史と文化学習会」(第15回)が開催される。私はもう運営には関わっていないが、貴重なイベントなので勝手に宣伝しておきたい。
講師は『墓標なき草原』の楊海英氏、そして今回紹介する『チベット人哲学者の思索と弁証法』の訳者であるアムド出身のチベット人、チュイデンブン氏だ。
本書の著者プンツォク・ワンギェル氏(1922年〜)はチベット現代史を語る上で欠かせない存在だ。青年時代にチベット民族の未来のため本気で共産主義革命の理想に共鳴し、後に中国共産党に裏切られた多くのチベット人要人のひとりである。ダライ・ラマ14世が北京で毛沢東と会談した際には通訳を務め、14世の自伝にも「親友」として登場する。モンゴル人としてチベットに潜入した日本人・木村肥佐生氏とも親交があった。
プンワンは法王らとともに反乱を企てたとされ、18年にわたって投獄された。拷問の末、自殺を図ったこともあったが、マルクス主義の古典など獄中で借りられる本を手がかりに、「なぜ革命に忠実であった自分が反革命とされたのか」を課題として弁証法の研究を進めた。上着を洗濯したときに出る青い水をインクに、拾った針金をペンに、トイレットペーパーをノートにして、メモをとったという。
といったプンワンの略伝が本書冒頭に記されている。これは『もうひとつのチベット現代史 プンツォク=ワンギェルの夢と革命の生涯』(明石書店=刊)著者・阿部治平氏によるもの。できれば略伝だけでなく、『もうひとつのチベット現代史』も読んでほしい。ちなみに90歳を超えたプンワンは北京在住。チベット現代史を一人称で語れる、最後の要人かもしれない。
さて、プンワンについてはいくらでも書けてしまうのだが、本書のテーマである弁証法については、私には書く資格がない。まず個人的な問題として哲学全般についての知識が圧倒的に欠けており、弁証法とは何かがよくわからない。弁証法と比較すべきものは何かといった基本的な世界観が描けないせいか、文字面だけを理解していても全体像がまったくつかめないというのが現状だ。
どうやら「月には液体の水が存在する」ということを、自然科学的な方法によらずに論証できるらしい。そして、チベット思想と共産主義の両方を知るプンワンによる弁証法は、心と物の関係性を解くカギであり、平和や「和諧」へとつながっているらしい。らしい、としか言えないのが残念だ。ただ、前提となる事実が正しくて、その先の展開がすべて論理で組み立てられていれば、理系の論文を読むつもりで精読すれば理解できる可能性はありそうだ。
哲学関係のことを聞くには最適な人がいるのだが、ここのところ会う機会を逸して果たせないでいる。と思っているうちに、訳者チュイデンブン氏が登壇する「チベットの歴史と文化学習会」が近づいてきた。こういった内容を言葉で語るとどうなるのか見当もつかないし、さらに謎が深まって質問さえ思い浮かばないかもしれないが、訳者自身による解説を聞けるのは非常に楽しみだ。
『中国「反日デモ」の深層』(扶桑社新書)
福島香織=著 扶桑社=刊
最近Twitterは控え気味。日本のチベット関連ニュースへのリンクを紹介するだけで精一杯だ。ただ昨年、中国の“反日デモ”騒ぎの際、軽い気持ちで雑感をツイートしたところ、たくさんリツイートされてびっくりした。
実際、仮に純粋に“反日”の意図を持つチベット人がいたとしても(ありえないが)、そこがチベットであり、彼がチベット人であるというだけでデモなんて許されないだろう。それどころか数人で仲良く歓談しながら歩いているだけで、武装警察が飛んできて解散させられるのを覚悟しなければならない。2008年以降、数人レベルのデモも弾圧される状態となり、追いつめられたチベット人は焼身抗議という手段を選ぶようになってしまった。
本書のテーマは“反日デモ”や反体制派への迫害の実態と、その背景にある政治的な暗闘であり、もちろんその部分に読みごたえがあるのだが、第二章「中国に“革命”は起こるのか」では、キルティ・ドルカル・ラモ氏(チベット女性協会会長)と在日チベット人ペマ・ギャルポ氏のコメントを交えて、チベット人の焼身抗議についても触れている。
この問題については答えるほうの気が重いのはもちろん、聞くほうも慎重に言葉を選ばなければと逡巡することになり扱いづらい。日本人にはわかりにくいメンタリティなので(私もわからないし、チベット人だってわからない人は多い)、本書のように色々な立場のチベット人自身の言葉がもっと伝えられるようになると、多少なりとも理解の助けになるだろう。
そもそも個人的には中国政府や中国共産党中枢のあれこれには昔からまったく興味がもてず、要職者の人名すらおぼつかない。中央のエライ人より、チベット自治区や青海省の幹部のほうがまだ名前を知っているぐらいだ。が、チベットの変化が中国の変化と密接にリンクしているのは明らかなので、ちゃんと興味もたなきゃ、という意味で、中国とチベット両方に造詣の深い筆者によって書かれた本書のような本は、中国の政治への興味を持続するモチベーションの救いとなってくれている。
2017年がひとつの節目らしい。でも、「はっきり言えることは、中国は予測不可能な、何が起こるかわからない時代がしばらく続く。」(あとがき)らしいよ。
『潜入ルポ 中国の女』
福島香織=著 文藝春秋=刊
前回のツェリン・ウーセル氏の記事を書いているときに、ふと思い出したのがこの本。女性を軸に中国の今を描いた本書の第三章「女強人(女傑)の擡頭」の中で、“「私は民族主義者」と漢語で語るチベット民族主義者”としてウーセル氏が紹介されている。“ふと思い出した”というのは、本書に登場する数々の「苦海で生きる女」たちの印象がいずれも鮮烈すぎて、ウーセル氏について書かれていたことを半ば忘れてしまっていたからだ。
そういえば、ウーセル氏が日本のメジャーな媒体できちんと紹介されたのは、本書が初めてだったと思う(たぶん)。著者・福島香織氏は2008年3月の「チベット騒乱」のさなか、怒濤の情報発信を続けるウーセル氏に注目し、自身のブログで翻訳紹介してくれていた。本書では15ページほどにわたって、ウーセル氏の生い立ちや王力雄氏との出会い、北京で軟禁に至る経緯などが、実際に本人に会った際のやりとりを軸に綴られている。
このブログはチベットの話題に特化した「チベット式」なので、ここではひとまずウーセル氏にしか触れない……で終わろうと思ったが、本書の他の部分で書かれている「苦海」に、すでにチベタン女子も巻き込まれいるうえ“少数民族”という追加のハンデまで背負わされているという、なおさらひどい状態にあるのだ、とだけ書いてみた。
p.s.
『中国の女』ならぬ、映画『チベットの女 イシの生涯』のDVDは、残念ながらもう絶版なんですね。。
『チベットの秘密』
ツェリン・オーセル、王力雄=著 劉燕子=監修・ 翻訳 集広舍=刊
ツェリン・ウーセル(Tsering Woeser、唯色)は1966年、チベット・ラサに生まれた女性作家・詩人。現在、北京で自宅軟禁状態のまま、ブログ(↓)やTwitterでチベットの現状について情報発信を続けている。
“看不見的西蔵”(Invisible Tibet)(中国語)
本書は、2000年から2008年のチベット動乱を経て、焼身抗議が続く現在に至るまで、ウーセル氏がブログや著者で綴った文章を、わかりやすい日本語で読める貴重な本だ。
ウーセル氏のブログは2008年以降、チベット情勢を当事者の視点で伝えるメディアとして注目され、頻繁にチベット関係のブログ等に訳文が掲載されるようになった。が、すでに膨大な記事が執筆されているだけに、たとえば「環境破壊について読みたい」「重要な記事を時系列で読みたい」といった読み方が、すでに困難になっている。こうして的確に編集され、詳細な注釈のついた書籍という形で読めるのは本当にありがたい。
訳者・劉燕子氏によるウーセル氏についての丁寧な解説「雪の花蕊 ツェリン・オーセルの文学の力」も必読。ウーセル氏とその家族がどんな生涯を歩んできたのか、そして、なぜ執拗な中国当局の妨害にもかかわらず北京で執筆を続けているのか、本書で初めて知るという読者も多いだろう。さらに、ウーセル氏の夫である王力雄氏による論文「チベット独立へのロードマップ」も、チベット問題を理解する上で助けとなるはずだ。時に詩的なウーセル氏の文章と、研究者・王力雄氏の冷静な筆致のコンビネーションは、さすが夫婦、だ。
書名『チベットの秘密』は、ウーセル氏が2004年に書いた同名の詩に由来する。エッセイ集を発禁とされ、隠された「もう一つのチベット」があることを実感したウーセル氏は、この詩の中で「もう抒情詩は書けない」と告白し、以降チベットの現実を書き記す作家となった。本のタイトルとしてはおとなしめだが、売れ線狙いの出版社から告発調の書名で出なかったのは幸いだ。
チベットで行なわれていることは、2008年以降さすがに「秘密」じゃなくなったかに見えるが、そう思っているのは常にチベットのことを気にしている私のような者だけかもしれない。焼身抗議のニュースだってまったく知らない人のほうが多い、と肌で感じる。いくら情報があふれていても、伝わっていなければ秘密であるのと大差ない。
というわけで、数年にわたってさぼっていたブログを、今年は若干真面目に書いていこう。いつかダライ・ラマ法王がチベットに帰還する暁には、ウーセル氏に心置きなく美しい抒情詩を綴ってほしいと思う。そして、劉燕子氏に訳してほしい。
p.s.
「花蕊」という字が読めなかった。国語力を高めておかないと、将来書かれるウーセル氏の抒情詩も味わえそうにない..orz
『ダライ・ラマ 宗教を超えて 世界倫理への新たなヴィジョン』(ダライ・ラマ14世=著)
三浦順子=訳 サンガ=刊
ダライ・ラマ法王の近年の一般講演の中で、伝わりにくいんじゃないか?と思っている言葉に「世俗の倫理」「世俗主義」がある。本書はまさにこれについて書かれた本。2時間程度の講演(通訳を介すので実際は1時間程度か)では語り尽くせないだろう「世俗の倫理ってそもそも何?」が、前半(第一部)約150ページで綴られている。
が、「世俗」という言葉自体に何となく引っかかってしまう方には、本文の前に、まず「訳者あとがき」から読むのことをお勧めしたい。一般的な日本人の目線で「世俗主義」について、そして本書の概要を解説してくれているからだ。その後、本文に入っていくと、ダライ・ラマ法王の描く倫理観のビジョンに馴染みやすいだろう。
後半(第二部)は、その倫理の実践編。チベット仏教では非常にポピュラーな「心の訓練」がメインだ。別の信仰を持つ人や信仰心を持たない人でも実践できるよう、心構えから瞑想の方法まで、宗教抜きで具体的に記されている。宗教と切り離した瞑想というものが実際のところ可能なのか? 私は特定の宗教に馴染みすぎているので、もはや試せないのが残念。是非どなたかトライしてみてほしい。
ところで、謝辞によると、本書の(原書の)編集チームは『幸福論』(原題“Ethics for the new millennium”・1999年。日本語版は2000年・角川春樹事務所刊)と同じとのこと。この本は『抱くことば』(イースト・プレス)や『ゆるす言葉』(同)のお手伝いをさせていただいた時、とてもお世話になった。今でも大量に付箋が貼ってある。たとえば最後のほうの
「寺院も教会もいりません。モスクもシナゴーグもいりません。複雑な哲学も、教義も、教理もいりません。わたしたち自身の心が寺院です。思いやりが教義です。」
あたりは忘れられないフレーズだ。
このように法王がかねてから唱え、近年とくに強調されている「宗教の枠を超えた普遍的な人の道」の集大成という意味で、『ダライ・ラマ 宗教を超えて 世界倫理への新たなヴィジョン』は決定版。しかも、その土台となっているチベット仏教を深く理解した上で、わかりやすい日本語で伝えてくれる三浦順子氏の翻訳で読めるというのもまたうれしい。
いま街で発売中の『ビッグイシュー日本版』(197号)の表紙&巻頭インタビューに
「ある意味では私もホームレス」(本文より)なダライ・ラマ14世が登場☆
販売場所等は↓
『ビッグイシュー日本版』公式サイト
↑買いたい時にかぎって売り子さんがいなかったりする^-^;