【本】『チベット人の民族意識と仏教 その歴史と現在』(日高俊=著)
『チベット人の民族意識と仏教 その歴史と現在』(ブックレット《アジアを学ぼう》26)
日高俊=著 風響社=刊
オビには「チベット人は銃を取るのか?」。これは本当に知りたい。昔から「取るかも」と主張するグループはあった。当面「取らない」とは思うが、将来はどうだろう。チベット人には確かに仏教の教えが根付いているが、個人レベルでは、暴力による戦いを支持する者も少なくないという印象がある。他国同様、民族対立が火種となった暴力沙汰は巷では起こっているし、生活のためにインド軍や中国軍に志願し、そこそこの戦闘スキルを身につけたチベット人だっている。
しかし、幸か不幸か、こうした武闘派(?)が民族闘争のために有効に組織化されることはなかったようだ。私は浅はかな素人考えから、鉄道や軍事・産業施設を狙った、人を傷つけないテロぐらいは起こるかと思っていたのだが、それさえなかった。一方で広まってしまったのが、自らの身を供養の灯明と化す焼身抗議だ。この自己犠牲による抗議は、徹底して「銃を取らない」抵抗運動の究極の形なのだろうか? と、チベット人自身も困惑している。
本書は約50ページ程度のブックレットだが、中身は濃い。チベット近現代史と、チベット人の民族意識の形成と広がり、そのベースにあるチベット仏教の影響力についてコンパクトにまとめられている。幅広い内容ながら、少ないページ数の中に詰め込んだという窮屈な印象は受けなかった。著者のフィールドワークの成果が随所に盛り込まれており、柔らかすぎず堅すぎない読み物として楽しめる内容となっているからだろう。チベット本土とダラムサラ両方の博物館の展示を対比したあたりは特に。「チベット人は銃を取るのか?」の答えが直ちに導かれるわけではないが、暴力とは正反対の「極端な非暴力」とも言える連続焼身抗議に至ったチベット民族のメンタリティを理解する上で、きっと助けになるはずだ。
本書はチベット仏教をベースに書かれているので、あえて仏教以外の部分には触れていないのかもしれないが、私は焼身抗議については、仏教だけで説明できるとは考えていない。ジャータカ云々というのは、どちらかというと後付けの理由であって、チベットの中でも仏教以前からの信仰が色濃く残る地域ならではのチベタンスピリットの発露に思えてならない。だとしたら、土地から切り離されて、純粋に仏教化が進んだ亡命社会では共感しにくいだろう。ややこしくなるので、こうした私の妄想についてはまたの機会に。
話を戻して、チベットのようなマイナーな分野で、若手研究者たちの活躍はなかなか目にする機会がないため(大御所の活躍さえ目にする機会は少ないのだが)、本書のようなシリーズは貴重だ。西部大開発後のチベットからスタートした研究者の見るチベット像は、私のように80年代ノスタルジーに浸りがちな世代とはまったく違っていることだろう、という意味でも非常に興味がある。もっと発表の場があるといいなあと思う。なお、このブックレットのシリーズでは『インドの「闘う」仏教徒たち 改宗不可触民と亡命チベット人の苦難と現在』(榎本美樹著)も刊行されているので、あわせてお勧めしたい。