チベット人中学生ら500人が抗議行動。3/14、アムド・マチュ(中国甘粛省瑪曲)で
3月10日は、1959年、中国の侵攻に対してラサのチベット人たちが蜂起した記念日。2008年のチベット動乱も3月10日のラサでの抗議行動が発端となり、3月14日にチベット全土に広がった。
今年の3月10日、中国当局は厳戒態勢でこの日に臨んだ。ラサでは事前の「厳打」キャンペーンにより、居住証をもたないチベット人など約500人が拘束されたという。
▼「厳打」キャンペーンによるチベット人逮捕者、500名に(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所)
▼China steps up security crackdown in Tibet(AFP)
上の写真は3月に入ってからラサのメインストリートで撮影されたもの。
一方、左の写真も同時期のものだが、ちょうど海外の報道陣を招いたプレスツアーを行なったときのもののようだ。武装警察にジャージを着せてソフトなイメージを演出しようとした、というのが現地の推測だ。
ラサでは武力による威嚇で封じ込められたチベット人たちの思いだが、2月にはアムド(東北チベット)アバ(四川省アバ県)、3月にはカム(東チベット)ザチュカ(四川省石渠県)でチベット人による座り込みなどの平和的な抗議行動があった。
▼武装警察の妨害に抗議、チベット族数千人が座り込み--四川省(Record China)
そして、3月14日のアムド・マチュ(甘粛省瑪曲県)。再び立ち上がったのは学生たちだった。マチュ県チベット族中学の学生約30人が町の中心部で声を上げ、「チベット独立」「チベットと中国の対話」「ダライ・ラマ法王の長寿」などを叫ぶ市民500〜600人が加勢。約40人が拘束されると、400〜500人が県政府庁舎前で解放を求めたという。マチュ周辺には約3000人の武装警察が配置されたと伝えられている。
写真は↓記事から転載。
▼Tibetan Students Stage Protest(Radio Free Asia)
マチュ県チベット族中学といえば、作家のキャプチェン・デドル(加布青・徳卓)が校長を務めていたが、今はどうなったのだろうか?
キャプチェンは「チュンメー」というチベット文学サイトの創始者のひとりでもあり、もうひとりの創始者クンチョク・ツェペルは昨年、国家機密漏洩罪で懲役15年の判決を受けている。
▼チベット人作家2人に懲役15年/5年の判決(チベット式)
▼著名藏族作家 瑪曲藏族中学校長 加布青(甘粛名師頻道)
【3/20追記】
上記キャプチェン・デドル校長は、学生たちの抗議行動の後、解雇されたと、Radio Free Asiaは伝えている。
▼Firings Over School Protests(RFA, 2010/03/19)
現地出身のチベット人によると、マチュは金(きん)が採れるため豊かな地として知られ、遊牧民も比較的裕福だという(ちなみに、マチュとは“黄河”の意味)。チベット人たちがパワーをもっているためか、下の画像リンクから思い起こされるように、2008年の動乱で中心地のひとつにもなった。
マチュに限らず、2008年に拘束された後、行方が知れないチベット人はまだ多い。とても「なかったこと」にできるものではない。
▼Machu, Amdo Tibet (uprisingarchive.org)
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