移住させられたチベット人たちのその後(ウーセルのブログより)
チベットでは、再開発、生活改善、自然保護など、さまざまな名目による強制的な移住が進められている。アムド地方チョネ(甘粛省甘南州卓尼)で行なわれた移住についての内部報告書の内容が、北京在住のチベット人作家ウーセル(唯色)氏の中国語ブログ『看不見的西蔵』(Invisible Tibet)で明らかにされている。以下勝手に全訳。正確さや、本来の文学的な格調を求める方は原文でご確認ください。
写真はかなり省略したので、これも原文でご覧ください。
▼原文
「一部関于蔵人移民的調査報告令人震驚」(看不見的西蔵 2009/12/21)
チベット人の移住に関する調査報告の驚愕の中身
文/ウーセル(唯色)
最近ある内部資料を目にした。中国国家民族事務委員会民族問題研究センターによる『民族工作研究』(2009年第4期)である。その中の『甘粛少数民族地区の非自願性移民問題調査報告〜甘南州九甸峡水力発電所プロジェクトを例に』を読み、驚かされるとともに、深く憂慮している。冒頭、ダム建設による水没地域は甘南州の多くのチベット人集落に及ぶことが紹介されている。計661戸、2560人のチベット人が立ち退きを余儀なくされた。大多数が移住させられたのは、ゴビ砂漠の激しい風砂の危害にさらされる酒泉市瓜州県である。自然環境が劣悪なだけではない。もっと重要なのは、文化や習俗がまったく異なることである。
2008年9月と10月に2回にわたって行なわれた調査により「チベット人移民の精神状態は非常に悪く、懐郷と懐古の心理が広く見られる」と明らかになった。こんな哀歌がぴったりである。
「山々も、川の流れも変わってしまった。食べもの、着るものも変わってしまった。文化信仰も違い、人とも近づけない。天も変わり地も変わり、昔と同じものは何ひとつない。身も心も凍えながら、故郷を懐かしんでばかり」
移住当初、開墾植樹に奮闘したチベット人もいた。しかし、空を覆う砂嵐とアルカリ化した大地を前に、望みは潰えた。すぐに生活水準は低下し、未来に希望はなくなった。来年どうやって耕作し、暮らしたらいいのかもわからない。
「94.44%の人が、生活に対して以前よりも大きな不安を抱いている」
政府はチベット人移民の甚大な損失に対して合理的な賠償も補償もせず、本来の了解事項もきちんと形にしていないため、移民たちは大損したと感じている。そのうち、元々の土地と移住地の土地の置換を進める規定についても、補償は進んでいない。チベット人が移住地に赴き、家屋の価格を差し引けば、補償金の残りはいくらもない。調査によれば、移住地の家屋には「チベット族の特色は一切ない。一列に整然と並ぶ白い平屋根の建物で、室内は暗くて寒く、快適さが感じられない。住み心地が非常に悪いだけでなく、建築の品質も劣悪である。……88.89%が住居の状況に不満を表わしている」
調査報告はさらに直言する。
「各層政府が専ら重視した作業は、とにかく早く移住させることだ。……彼らの希望や文化背景を尊重する者は非常に少なく、チベット人移民の文化的適応について、関心を持ったり気づいたりする者も稀である。彼らが自らのグループや神聖な寺院、慣れ親しんだ山河や郷里から遠く離れた後、心の奥深くに負った憂いと苦しみを、誰かが代わって引き受けることなどできないのだ」。
調査によれば、移住先には「チベット族文化の息吹は一切なく、チベット族的な特徴は影も形もない」。
ある70余歳の老人はこう言う。立ち退きにあたって、移住先にチベット仏教寺院を建てることを求めた。関係指導者は寺院建立に応じただけでなく、何人か僧侶を呼ぼうとまで言った。しかし、移住後、寺院が建たないだけでなく、祈祷旗さえ掲げられないでいる。多くの老人は風土になじめず病にかかり、精神に異常をきたした女性もいる。葬儀の習俗までもが変えさせられてしまった。チベット人移民たちは強烈な心理的圧迫を受けている。
「78.70%が、自らの民族文化・習俗が伝承できないのではないかと懸念している」。
調査報告はまたチベット人移民の教育問題にも注目し、移住に際し、政府が民族教育という重要過程を一切考慮していないことを指摘している。移住先の学校はチベット語教育に対応しておらず、教科書の種類も異なり、教師が何を言っているのか方言がきつくてわからない。したがって、チベット人移民の子女は勉学が困難になり、勉強嫌いになってしまう。移住地での学費は高額なのに加え、生活費も高い。すでに数十人の中学生・高校生は中退し、働きに出ている。
移住地の政府当局者はチベット人を貧困移民と見なしている上、言葉も通じないことから、チベット人への蔑視を招いている。当然チベット人の反感と不満を呼び、現地社会に溶け込むことはさらに困難になる。もちろん、この調査報告には相応の対策と提案もあるが、一定期間に効果をあげるのは困難だろう。これらは中国の国情がもたらしたものだ。被害者はいつも弱き民衆であり、チベット人民衆は弱者の中の弱者なのだ。それでも、この調査報告が非常に貴重なのは確かだ。チベット人は移住によって「経済的・物質的な損失を被っただけでなく、彼らを取りまく宗教・文化・コミュニティー・心理・生活様式・風俗習慣に及ぶすべての面で損失を被った」と明確に結論づけているからだ。
2009年11月21日
(この記事はRadio Free Asiaチベット語放送のために書かれた)
記者が写真につけた注釈:
「懐かしくなったときに見よう!」
チョネ県トウ硯郷納児村の全村移民は、全村民の集合写真を撮るよう記者に求めた
チベット人が移住させられたのは、ゴビ砂漠の風砂の危害にさらされる酒泉瓜州だった
甘粛省の役人がチベット人の移民村を訪れ、乾燥のため何も育たない農地を視察
瓜州県広至チベット族郷卓園村の老人、範宗草。しかし、彼女の外見にチベット人老婦の面影が見られるだろうか?
瓜州県広至チベット族郷の学校で「6月1日国際児童節」を祝う。しかし、これらチベット人の子どもたちの衣装や踊りは、チベット人自身の文化とはまったくかけ離れている。
(注:写真はすべて百度で検索したもの)
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