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2009年12月17日 (木)

テンジン・デレク・リンポチェの学校は養鶏場・屠殺場になっていた(ウーセルのブログより)

12月5日、チベット・カム地方ニャクチュカ・リタン(四川省甘孜州雅江県・理塘県)でチベット人による500人規模の抗議デモがあった。日本でも次のように報じられた。

チベット族5百人がデモ 四川省、150人拘束か
2009.12.9 00:44

 米政府系放送局のラジオ自由アジアによると、中国四川省カンゼ・チベット族自治州で5日、500人近いチベット住民が、投獄されている僧侶の釈放を求めて抗議デモを行い、現地と連絡を取った亡命チベット人は150人以上が当局により拘束されたと語った。
 デモが起きたのは同自治州の雅江県と理塘県で、治安部隊が制圧に乗りだしバイクなどを壊した。僧侶は爆破事件に関与したとして2002年に死刑判決を受け、その後無期懲役に減刑されたという。
 チベット亡命人系ニュースサイトは、デモに参加したのは3百人以上で、地元政府施設前で3日間連続してハンガーストライキをしていたと伝えている。(共同)

この記事に出てくる「高僧」とは、テンジン・デレク・リンポチェ師。2002年に四川省成都で起きた爆弾事件に関与したとして死刑判決を受けた後、2005年に無期懲役に減刑となった。師本人は無実を主張。地元チベット人も無実を信じており、今回の抗議デモも再審を求めるものだ。
※一連の経緯については、たとえば→「テンジン・デレック・リンポチェを救うために」(チベットNOW@ルンタ)

Tenzindelek01テンジン・デレク・リンポチェはリタン周辺の精神的指導者であり、教育や医療の改善に務めたことでも知られている。北京在住のチベット人作家ウーセル(唯色)は2008年6月、師の設立した学校を訪問しようとニャクチュカ現地を訪れた。その模様が女史の中国語ブログ『看不見的西蔵』(Invisible Tibet)「テンジン・デレク・リンポチェの学校は養鶏場・屠殺場になっていた」として掲載されている。

以下(勝手に)ほぼ全訳。毎度ながら、正確さや、本来の文学的な格調を求める方は原文でご確認ください。
また、写真も一部省略。原文にはもっとたくさん載っているので、是非ご覧ください。

▼原文
「丹増徳勒仁波切的学校、現在成了養鶏場和殺豚場」(看不見的西蔵 2009/12/17)



テンジン・デレク・リンポチェの学校は養鶏場・屠殺場になっていた
文/ウーセル(唯色)

テンジン・デレク・リンポチェは、この地の子どもたちにとって教育を受けるのが困難な状況に鑑み、1994年以来、自らの手で学校を設立することを望んでいた。師が力を尽くした結果、ついに政府もしばらく黙認することとなり、1998年5月、格西溝和平小学校が誕生した。

Tenzindelek02この小学校は、ニャクチュカ(雅江県)のニャクチュ(雅龍江)沿いの格西溝に位置する。ニャクチュカの町から4〜5キロ。気候、照明、医療などの条件の比較的よい、千数百平米の土地である。受け入れた学生の中には、孤児だけでなく、障害者やきわめて貧しい家庭の児童もいた。子どもたちの出身地はリタン、ニャクチュカ、ダルツェド(康定)の幅広い農牧地域。中には、チャクサム(濾定)から来た漢族の孤児もいた。1999年の時点で、学生は130人。男女比は44:56。貧困家庭の学生が8割、孤児が2割を占め、13歳から20歳の小学生相当以上の年齢の学生が6割いた。

Tenzindelek05クラスは4つ。科目はチベット語、チベット語による数学、漢語、チベット語文法など。各クラスとも国家編纂の教材を使っていた。教員は6人で、うちチベット語教師2人、漢語教師2人。教師のうち4人は師範学校卒業生を招いた。他に管理や炊事を担当する職員が6人。この学校のすべての経費はテンジン・デレク・リンポチェ個人が提供したものだ。師は毎月平均13,800元を投じて、教職員の人件費や学生たちの衣食等をすべて賄っていた。

2000年、この学校は強制的に解散させられた。その時点で学生は300人以上。身寄りのないお年寄りと障害者もいた。

Tenzindelek082008年6月、私はカムとアムドを訪れた際、テンジン・デレク・リンポチェが手がけた学校がどうなっているかを見に行った。
本当に悲惨で見ていられない!
人気がなく、空っぽの建物。教室はゴミだらけで、かつて教員や学生の寄宿舎だった部屋は、すでに養鶏場と屠殺場になっていた。漢人地域から来た出稼ぎがせっせと金を稼ぎ、子どもを育てている。流れる小川には、鶏の毛や豚の糞、ビニール袋が浮かぶ。漂う悪臭の中、豚が屠られる叫喚が響く……

これほど皮肉な現実があるだろうか!

Tenzindelek07ニャクチュカの町に出入りする道路上には、武装した警官や武装警察が陣取り、今に至るまで厳重に警戒している。

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