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2009年12月

2009年12月21日 (月)

移住させられたチベット人たちのその後(ウーセルのブログより)

チベットでは、再開発、生活改善、自然保護など、さまざまな名目による強制的な移住が進められている。アムド地方チョネ(甘粛省甘南州卓尼)で行なわれた移住についての内部報告書の内容が、北京在住のチベット人作家ウーセル(唯色)氏の中国語ブログ『看不見的西蔵』(Invisible Tibet)で明らかにされている。以下勝手に全訳。正確さや、本来の文学的な格調を求める方は原文でご確認ください。
写真はかなり省略したので、これも原文でご覧ください。

▼原文
「一部関于蔵人移民的調査報告令人震驚」(看不見的西蔵 2009/12/21)



チベット人の移住に関する調査報告の驚愕の中身
文/ウーセル(唯色)

091221_amdo_chone01最近ある内部資料を目にした。中国国家民族事務委員会民族問題研究センターによる『民族工作研究』(2009年第4期)である。その中の『甘粛少数民族地区の非自願性移民問題調査報告〜甘南州九甸峡水力発電所プロジェクトを例に』を読み、驚かされるとともに、深く憂慮している。冒頭、ダム建設による水没地域は甘南州の多くのチベット人集落に及ぶことが紹介されている。計661戸、2560人のチベット人が立ち退きを余儀なくされた。大多数が移住させられたのは、ゴビ砂漠の激しい風砂の危害にさらされる酒泉市瓜州県である。自然環境が劣悪なだけではない。もっと重要なのは、文化や習俗がまったく異なることである。

091221_amdo_chone022008年9月と10月に2回にわたって行なわれた調査により「チベット人移民の精神状態は非常に悪く、懐郷と懐古の心理が広く見られる」と明らかになった。こんな哀歌がぴったりである。
「山々も、川の流れも変わってしまった。食べもの、着るものも変わってしまった。文化信仰も違い、人とも近づけない。天も変わり地も変わり、昔と同じものは何ひとつない。身も心も凍えながら、故郷を懐かしんでばかり」
移住当初、開墾植樹に奮闘したチベット人もいた。しかし、空を覆う砂嵐とアルカリ化した大地を前に、望みは潰えた。すぐに生活水準は低下し、未来に希望はなくなった。来年どうやって耕作し、暮らしたらいいのかもわからない。
「94.44%の人が、生活に対して以前よりも大きな不安を抱いている」

政府はチベット人移民の甚大な損失に対して合理的な賠償も補償もせず、本来の了解事項もきちんと形にしていないため、移民たちは大損したと感じている。そのうち、元々の土地と移住地の土地の置換を進める規定についても、補償は進んでいない。チベット人が移住地に赴き、家屋の価格を差し引けば、補償金の残りはいくらもない。調査によれば、移住地の家屋には「チベット族の特色は一切ない。一列に整然と並ぶ白い平屋根の建物で、室内は暗くて寒く、快適さが感じられない。住み心地が非常に悪いだけでなく、建築の品質も劣悪である。……88.89%が住居の状況に不満を表わしている」

091221_amdo_chone09調査報告はさらに直言する。
「各層政府が専ら重視した作業は、とにかく早く移住させることだ。……彼らの希望や文化背景を尊重する者は非常に少なく、チベット人移民の文化的適応について、関心を持ったり気づいたりする者も稀である。彼らが自らのグループや神聖な寺院、慣れ親しんだ山河や郷里から遠く離れた後、心の奥深くに負った憂いと苦しみを、誰かが代わって引き受けることなどできないのだ」。
調査によれば、移住先には「チベット族文化の息吹は一切なく、チベット族的な特徴は影も形もない」。
ある70余歳の老人はこう言う。立ち退きにあたって、移住先にチベット仏教寺院を建てることを求めた。関係指導者は寺院建立に応じただけでなく、何人か僧侶を呼ぼうとまで言った。しかし、移住後、寺院が建たないだけでなく、祈祷旗さえ掲げられないでいる。多くの老人は風土になじめず病にかかり、精神に異常をきたした女性もいる。葬儀の習俗までもが変えさせられてしまった。チベット人移民たちは強烈な心理的圧迫を受けている。
「78.70%が、自らの民族文化・習俗が伝承できないのではないかと懸念している」。

091221_amdo_chone10調査報告はまたチベット人移民の教育問題にも注目し、移住に際し、政府が民族教育という重要過程を一切考慮していないことを指摘している。移住先の学校はチベット語教育に対応しておらず、教科書の種類も異なり、教師が何を言っているのか方言がきつくてわからない。したがって、チベット人移民の子女は勉学が困難になり、勉強嫌いになってしまう。移住地での学費は高額なのに加え、生活費も高い。すでに数十人の中学生・高校生は中退し、働きに出ている。

移住地の政府当局者はチベット人を貧困移民と見なしている上、言葉も通じないことから、チベット人への蔑視を招いている。当然チベット人の反感と不満を呼び、現地社会に溶け込むことはさらに困難になる。もちろん、この調査報告には相応の対策と提案もあるが、一定期間に効果をあげるのは困難だろう。これらは中国の国情がもたらしたものだ。被害者はいつも弱き民衆であり、チベット人民衆は弱者の中の弱者なのだ。それでも、この調査報告が非常に貴重なのは確かだ。チベット人は移住によって「経済的・物質的な損失を被っただけでなく、彼らを取りまく宗教・文化・コミュニティー・心理・生活様式・風俗習慣に及ぶすべての面で損失を被った」と明確に結論づけているからだ。

2009年11月21日
(この記事はRadio Free Asiaチベット語放送のために書かれた)

091221_amdo_chone03記者が写真につけた注釈:
「懐かしくなったときに見よう!」
チョネ県トウ硯郷納児村の全村移民は、全村民の集合写真を撮るよう記者に求めた

091221_amdo_chone04チベット人が移住させられたのは、ゴビ砂漠の風砂の危害にさらされる酒泉瓜州だった

091221_amdo_chone05甘粛省の役人がチベット人の移民村を訪れ、乾燥のため何も育たない農地を視察

091221_amdo_chone06役人が移民村を訪れ、家族計画の状況を調査

091221_amdo_chone07瓜州県広至チベット族郷卓園村の老人、範宗草。しかし、彼女の外見にチベット人老婦の面影が見られるだろうか?

091221_amdo_chone08瓜州県広至チベット族郷の学校で「6月1日国際児童節」を祝う。しかし、これらチベット人の子どもたちの衣装や踊りは、チベット人自身の文化とはまったくかけ離れている。
(注:写真はすべて百度で検索したもの)

2009年12月17日 (木)

テンジン・デレク・リンポチェの学校は養鶏場・屠殺場になっていた(ウーセルのブログより)

12月5日、チベット・カム地方ニャクチュカ・リタン(四川省甘孜州雅江県・理塘県)でチベット人による500人規模の抗議デモがあった。日本でも次のように報じられた。

チベット族5百人がデモ 四川省、150人拘束か
2009.12.9 00:44

 米政府系放送局のラジオ自由アジアによると、中国四川省カンゼ・チベット族自治州で5日、500人近いチベット住民が、投獄されている僧侶の釈放を求めて抗議デモを行い、現地と連絡を取った亡命チベット人は150人以上が当局により拘束されたと語った。
 デモが起きたのは同自治州の雅江県と理塘県で、治安部隊が制圧に乗りだしバイクなどを壊した。僧侶は爆破事件に関与したとして2002年に死刑判決を受け、その後無期懲役に減刑されたという。
 チベット亡命人系ニュースサイトは、デモに参加したのは3百人以上で、地元政府施設前で3日間連続してハンガーストライキをしていたと伝えている。(共同)

この記事に出てくる「高僧」とは、テンジン・デレク・リンポチェ師。2002年に四川省成都で起きた爆弾事件に関与したとして死刑判決を受けた後、2005年に無期懲役に減刑となった。師本人は無実を主張。地元チベット人も無実を信じており、今回の抗議デモも再審を求めるものだ。
※一連の経緯については、たとえば→「テンジン・デレック・リンポチェを救うために」(チベットNOW@ルンタ)

Tenzindelek01テンジン・デレク・リンポチェはリタン周辺の精神的指導者であり、教育や医療の改善に務めたことでも知られている。北京在住のチベット人作家ウーセル(唯色)は2008年6月、師の設立した学校を訪問しようとニャクチュカ現地を訪れた。その模様が女史の中国語ブログ『看不見的西蔵』(Invisible Tibet)「テンジン・デレク・リンポチェの学校は養鶏場・屠殺場になっていた」として掲載されている。

以下(勝手に)ほぼ全訳。毎度ながら、正確さや、本来の文学的な格調を求める方は原文でご確認ください。
また、写真も一部省略。原文にはもっとたくさん載っているので、是非ご覧ください。

▼原文
「丹増徳勒仁波切的学校、現在成了養鶏場和殺豚場」(看不見的西蔵 2009/12/17)



テンジン・デレク・リンポチェの学校は養鶏場・屠殺場になっていた
文/ウーセル(唯色)

テンジン・デレク・リンポチェは、この地の子どもたちにとって教育を受けるのが困難な状況に鑑み、1994年以来、自らの手で学校を設立することを望んでいた。師が力を尽くした結果、ついに政府もしばらく黙認することとなり、1998年5月、格西溝和平小学校が誕生した。

Tenzindelek02この小学校は、ニャクチュカ(雅江県)のニャクチュ(雅龍江)沿いの格西溝に位置する。ニャクチュカの町から4〜5キロ。気候、照明、医療などの条件の比較的よい、千数百平米の土地である。受け入れた学生の中には、孤児だけでなく、障害者やきわめて貧しい家庭の児童もいた。子どもたちの出身地はリタン、ニャクチュカ、ダルツェド(康定)の幅広い農牧地域。中には、チャクサム(濾定)から来た漢族の孤児もいた。1999年の時点で、学生は130人。男女比は44:56。貧困家庭の学生が8割、孤児が2割を占め、13歳から20歳の小学生相当以上の年齢の学生が6割いた。

Tenzindelek05クラスは4つ。科目はチベット語、チベット語による数学、漢語、チベット語文法など。各クラスとも国家編纂の教材を使っていた。教員は6人で、うちチベット語教師2人、漢語教師2人。教師のうち4人は師範学校卒業生を招いた。他に管理や炊事を担当する職員が6人。この学校のすべての経費はテンジン・デレク・リンポチェ個人が提供したものだ。師は毎月平均13,800元を投じて、教職員の人件費や学生たちの衣食等をすべて賄っていた。

2000年、この学校は強制的に解散させられた。その時点で学生は300人以上。身寄りのないお年寄りと障害者もいた。

Tenzindelek082008年6月、私はカムとアムドを訪れた際、テンジン・デレク・リンポチェが手がけた学校がどうなっているかを見に行った。
本当に悲惨で見ていられない!
人気がなく、空っぽの建物。教室はゴミだらけで、かつて教員や学生の寄宿舎だった部屋は、すでに養鶏場と屠殺場になっていた。漢人地域から来た出稼ぎがせっせと金を稼ぎ、子どもを育てている。流れる小川には、鶏の毛や豚の糞、ビニール袋が浮かぶ。漂う悪臭の中、豚が屠られる叫喚が響く……

これほど皮肉な現実があるだろうか!

Tenzindelek07ニャクチュカの町に出入りする道路上には、武装した警官や武装警察が陣取り、今に至るまで厳重に警戒している。

【イベント】12/19&20「チベット人と訪ねる『聖地チベット』展」@上野

上野の森美術館で開催中の特別展「聖地チベット—ポタラ宮
と天空の至宝—」を入り口として、チベットの人たちの思いを知り、
チベット文化そのものを考えるワークショップを開催します。
チベットの文化を血肉で受け継ぎ、チベットのこころを持った
人たちがつむぐ言葉に耳を傾けてみませんか。
(※美術の専門家や研究者の解説や美術評論はありません)

第5回、第6回の日程が決まりましたので、お知らせします!

第5回……12/19(土)10:00〜
第6回……12/20(日)13:00〜

■主催:「チベットの歴史と文化学習会」有志
■協力:在日チベット人コミュニティ

↓詳しいご案内と、お申し込みはこちら↓
チベット人と訪ねる「聖地チベット」展へのお誘い

定員がありますので、〆切になっちゃったら、ごめんなさい_(._.)_

2009年12月 5日 (土)

チベット人歌手タシ・トゥンドゥプが逮捕された(ウーセルのブログより)

12月3日、チベット人歌手タシ・トゥンドゥプ(Tashi Dondrup、扎西東知)が逮捕された、と『Times Online』(12月4日付)が報じた。北京在住のチベット人作家ウーセル(唯色)の中国語ブログ『看不見的西蔵』(Invisible Tibet)より、この事件についてのエントリーを(勝手に)全訳。
[言い訳]いつもながら正確さや、本来の文学的な格調を求める方は原文でご確認ください。特に歌の歌詞は少々テキトーです。中国語に詳しい方、間違いあったら是非ご指摘ください!私はシロートです。
Dondrupは日本語ではドンドゥプ、ドンドゥップなどとも表記されます。

▼原文
「著名蔵人歌手扎西東知昨日被捕」(看不見的西蔵 2009/12/04)
▼Timesの元の記事
「Tibetan singer Tashi Dondrup arrested over 'subversive' CD」(Times Online)



チベット人歌手タシ・トゥンドゥプが逮捕された。『Times』報道より
文/ウーセル(唯色)

Tashi_dondrup1著名なチベット人歌手タシ・トゥンドゥプが昨日(12月3日)午後7時頃、青海省西寧市で逮捕された。現在消息不明。

タシ・トゥンドゥプは青海省河南モンゴル族自治県セルルン郷出身。元々は県芸術団の専属歌手であり、民謡・オリジナル曲の弾き語りによりアムド地方で名を馳せている。両親は当地の牧民。姉妹が1人いる。2カ月前に結婚したばかりの30歳。

昨年リリースしたオリジナル曲『1958-2008の恐怖』は、民間およびネット上で広まり、その影響が甚大だったため、数日間拘禁された。彼はこう歌った。

西暦1958年、黒い敵がチベットにやって来た。
ラマが獄中に囚われた、あの年が、私たちは心底怖い。
西暦2008年、チベット人はゆえなく殴られた。
この世の民が虐殺された、あの年が、私たちは心底怖い。

今年11月、彼はソロアルバム(VCD)『傷跡のない酷刑』を西寧でリリースした。収録された13曲の内容は、ダライ・ラマや高僧の徳をしのび、チベットに宗教信仰の自由がないことを嘆き、2008年のチベット抗議事件を問い直すものだ。全部で5000枚が発行されたが、その反響は強烈で、多くの地方で売り切れ、瞬く間に当局の取り締まりを受けた。

河南県公安当局は、“反動歌曲”を歌って広めたという名目でタシ・トゥンドゥプを捕らえようとした。彼は逃れていたものの、結局捕まってしまった。歌を罪に問われたこの歌手が、どんな罪名で、どんな懲罰を科されるのか、今のところ予測はできない。ここに各界の関心を呼びかけたい。

このソロアルバムはすでにネット上で流布されている。ある曲の歌詞の大意を紹介しよう。

俺はダライ・ラマに会ったことはない。
思うに、俺は哀れな運命のチベット人だ。
俺は2008年の抗議に参加しなかった。
思うに、俺はハンパなチベット人だ。
俺は雪山獅子旗を掲げなかった。
思うに、俺はハンパな男だ。

『Times』は本日午後この事件を報じた。
[以下Timesの記事全文]

[訳注]歌詞の「黒い敵」について。チベット語では「中国」を伝統的に「黒い国」と呼ぶ。

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