チベット・アバの僧侶が焼身自殺を図り、射殺された
チベット暦の新年が明けたばかりの2月27日、チベット・アムド地方アバ(四川省アバ県)の僧侶が街中で焼身自殺を図り、その場で兵士に射殺された。
以下、北京発ツェリン・ウーセル(唯色)のブログ「Invisible Tibet」(看不見的西蔵)の記事の全訳。訳が不安な方は原文↓をご覧ください。
http://woeser.middle-way.net/2009/02/blog-post_6324.html
英語の記事は現時点では↓などが出ています。
Tibetan monk sets himself on fire: activist group (Reuters, 2009/02/27)
上の写真は2週間ほど前のアバの町のメインストリートにて。私が撮影したもの。
■アバの僧侶タペーが街中で焼身自殺し、銃殺された
(文・ウーセル)
2月25日午後、北京の繁華街・王府井で、新疆ナンバーの車の中で3人が焼身自殺した。身元は今なお明らかではない。海外メディアはチベット人ではないかと懸念している。その日がチベット暦新年の元日だったからだ。
しかし、ロサル(新年)3日、ついにチベット人が焼身自殺してしまった!
チベット本土で、チベット人が抗議の焼身自殺をしたのは初めてだろう。
この知らせを聞いたとき、しばし言葉を失い、声さえ出せなかった。胸がうずき、辛くてたまらない。
目の前に燃え盛る炎が現れた。炎の中には、若い僧侶がいる。雪山獅子旗とダライ・ラマ法王の写真を高く掲げ、叫びながら走っている。彼は油をかけた袈裟に火をつけ、火の玉となって街中に飛び出した。
銃声が響いた!
ニュースらしく書いてみよう。
2月27日、アムド地方ンガワ(現在の四川省アバチベット族羌族自治州アバ県)。アムドの著名な大僧院キルティ寺(格爾登寺)で、千人以上の僧侶が仏殿に集まり、祈願の法会を執り行おうとして、阻止された。同寺の管理委員会は僧侶らに法会の中止を求め、当局による懲罰は免れた。僧侶らはやむをえず僧坊に戻った。
しばらく後、午後1時40分、ひとりの若い僧侶が寺を出て、ほど近い町の中心部に向かった。そして、突然、雪山獅子旗とダライ・ラマ法王の写真を掲げ、油をかけた袈裟に火をつけ、叫び声をあげながら駆け出した。町にあふれるほどいる兵士が直ちに彼に発砲した。3発、射ったという。自らの身に火を放ったこの僧侶は射たれて倒れた。兵士は飛びかかって火を消した後、銃弾に倒れた僧侶を運び去った。
若い僧侶の名はタペー。25〜30歳位で、キルティ寺近くの村の出身だ。
タペーが亡くなったのかどうかは、わからなかった。午後、数百人の僧侶が彼の実家を訪れ、供養の法会を執り行った。
昨年3月27日には、キルティ寺の32歳の僧侶ロブサン・ジンパが遺書を残して、僧坊で首を吊った。彼は遺書の中で、当局がキルティ寺に着せた罪(抗議行動を指導し組織した罪、兵士が銃殺した遺体を保存し、外部に情報を漏らした罪)について書いていた。いわく、すべて彼ひとりによるもので、寺院やその他の僧侶には関係がない。抗議行動を率いたのは自分であり、その責を負う。遺書の終わりにはこう書かれていた。「中国の圧迫の下では暮らしたくない。1日といわず、1分でさえ我慢できない」。最後に彼の署名があった。
昨年4月16日夜には、同じくキルティ寺の29歳の僧侶トゥソンが自殺した。彼は盲人だった。命を絶つ前、家族にこう言った。「目の見えるあなた方には、こんな日々が耐えられないでしょうね。何も見えない私でさえ耐えられないのですから」。
2009年2月27日記録
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