古代シャンシュン文明? 単なる落書き??
「I Love Tibet!」の紀行コーナーにひさびさの新作「聖湖ナムツォにヤクを訪ねて」をアップ(近いうちにもう1本いきます)。
ナムツォはチベットで2番目に大きい、美しい塩湖。最近は道路事情がよくなって、頑張ればラサから日帰りで行けるようになった。風の旅行社の中村さんのブログ「チベット茶館」の紀行もどうぞ。
ナムツォ、超おすすめ♪ できれば1泊したいものだ。
ナムツォの西には広大なチャンタン平原が広がっている。チベット高原の中でもとりわけ不毛の地だが、辺鄙なだけあって、古い時代のあれこれが残っていたりする。そのひとつがボン教だ。
ボン教(ポン教)はチベットに仏教が入ってくる前からあったチベット・オリジナルの原始宗教。かつて西チベットにあったシャンシュン王国で栄えていたが、仏教が広まるにつれて勢いを失い、奥地へと追いやられた。といってもボン教的な風習は土着の強さゆえ、なくなったわけではなく、仏教の儀式や祭りなどの中にしっかり残っている。
ナムツォ周辺にはシャンシュン文明の残り香とも言えるボン教信仰の跡が見られる。
例えば岩絵。
ナムツォ畔の巨大な岩山の内部には、行者がこもって修行をするための洞窟が大量にある。その壁に、例えば“狩りをする人間”などの絵が描かれているのだが、これがきわめてヘタくそプリミティブで、いかにも古代って感じ。他の地域で見つかっているシャンシュン時代のものとも絵柄が似かよっている。
仏教徒も巡礼や修行に来るので、「オムマニペメフム」など仏教の一般的な真言や仏教紋様を描いた岩絵も多い。
しかし、「卍」にご注目。
仏教徒は逆卍を正しい向きと考えるが、ボン教徒は卍を用いる。ナムツォの畔の岩絵にはボン教の卍がかなり見られるのだ。
ボン教ぽい図柄であっても、やけに新しくハッキリ見えるものも多いので、必ずしも1000年も2000年も昔のシャンシュン文明と結びつくわけではないだろう。新しい時代のボン教徒が描いたものかもしれない。あともう一つの可能性は、巡礼に来て“記念に一筆”なんて考えたやつらの落書きかな(笑)。
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