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2004年12月

2004年12月31日 (金)

チベット僧テンジンさん死刑回避?+北京で反日デモ

四川省成都で起きた爆弾事件に関わったとして死刑判決を受けたチベット人の僧侶テンジン・デレク・リンポチェが本当に死刑になってしまうかも?をめぐって世界中で「SAVE TENZIN!」キャンペーンが繰り広げられていたが、幸いというか当然というか、どうやら死刑にはならず、1月26日までの執行猶予期間を無事つとめあげたら終身刑ということになるかも。

これについて共同通信が昨日配信した記事は「ちべログ@うらるんた」の「死刑判決のチベット高僧減刑か」に転載されている。新聞社等のサイトでは取り上げてなかったけど。

第一報を伝えた新華社の記事と思われる“Tibetan monk involved in terrorist bombing still in prison”(BEIJING, Dec. 30 (xinhua))の翻訳と、それを受けたロイター電の翻訳は「北朝鮮・チベット・中国人権ウォッチ−東北アジアの全ての民衆に<人権>の光を! 」の「【テンジン・デレク・リンポチェが減刑???】チベット僧侶の死刑判決は減刑されるかもしれない−新華社(ロイター 04.12.30) 」に。

けど、ひとを拉致しておいて「返したんだから、ありがたく思え」とかいうのと同じで、何もしてない(んでしょ?たぶん)僧侶を死刑にするぞと2年も捕まえておいて、無期刑にしたというだけで、何か良いことをしたような気になられては困るよな。しかも、こういう言い方はアレだが、せっかく世界的に盛り上がった運動に水を差す効果が十分にあるという意味で二重に困る。「死刑を免れました」でカタルシスを感じてしまう人は多いはずだ。

ここんとこ、チベット亡命政府と中国政府がナイショで交渉してるというんで、どこからかブレーキがかかっていて、チベット人もチベットサポーターも以前のようには反中国的な行動、チベット独立をうたった行動がとれないでいる。「SAVE TENZIN!」のアクションは、ある意味そんな欲求不満が爆発して大きなキャンペーンに成長できたのだと思う。
これがガス抜きになって収束してしまっては、中国の思うツボだ。

041231snowで、雪が積もりましたね。

【中国情報】日本大使館前で抗議行動
 台湾の李登輝前総統の訪日とチベット仏教の精神的指導者、ダライ・ラマ十四世の訪日計画をめぐり、北京の日本大使館前で三十日、約五十人の中国人グループが日本語で「日本はならず国家」と非難する横断幕を掲げて、日本政府と小泉純一郎首相に対する抗議文を読み上げたほか、李前総統を皮肉ったポスターを焼くなどの抗議活動を行った。(北京 野口東秀)

(産経新聞) - 12月31日2時35分更新

来年は、無理矢理な“日中友好”から脱して、よーやく普通に仲の悪い隣国になれる“正常化”元年かも。ダライ・ラマ法王来日も騒がしくなってしまうんだろうか?

というわけで、よいお年を。来年もよろしくお願いいたします♪

2004年12月27日 (月)

ダライ・ラマ法王が来春来日!“靖国参拝”するの??

ダライ・ラマ法王が4月に来日なさるということは以前にも書いたが、そこに“靖国参拝”が絡んで来るとは意外だった。

靖国参拝といっても小泉某のことではない。不勉強にして知らなかったが、ダライ・ラマ法王は1980年の来日の際、靖国神社に参拝していたという。ていうか1980年なんて、中学生だったし。ダライ・ラマ法王の来日履歴はこちらをご覧ください

今日の日経新聞の「首相の靖国参拝 憶測様々 中国にらみ可否・時期探る?」という記事の最後に次のように書かれていて初めて知った。
ダライ・ラマは一九八〇年に来日した際、靖国神社に参拝した。自民党は「ダライ・ラマは再び靖国参拝をするかもしれない。首相の参拝時期を探るのは、その反応をみてからでよいのではないか」との判断だ。(2004/12/27日本経済新聞)

1980年は3回目の来日。世界連邦の招きによるもので、亜細亜大学・拓殖大学での講演、阿含宗での法話、広島での慰霊法要などが行なわれた。1939年にラサに入った野元甚蔵さんと鹿児島で「再会」したのも、この時だったようだ。

ダライ・ラマ@靖国参拝写真は日韓翻訳掲示板NAVERの歴史カテゴリの「世界の要人らの靖国神社参拝」という投稿から拾ってきた。元は何に載っていたのか不明。

色んな思惑の人たちに引っぱり回されて、ダライ・ラマも本当に大変だ。
1980年といえば、靖国神社への閣僚の集団参拝が始まった年だった。で、今になって、また急に「再び靖国参拝をするかもしれない」か。李登輝さん来日に続いて。ずいぶん矢継ぎ早だな。

そこまでダライ・ラマを利用するんだったら、中国の反発をかいついでに、その勢いで首相が法王に拝謁でも賜ってみたらどうだろうか? 歴代首相初? 歴史に残るかも? すごいね、ブッシュ並みだね。ひさびさのイケてるパフォーマンスになると思うよ(w

さて、ダライ・ラマ法王の来年4月来日スケジュール、『チベット通信』より抜粋です。

2005年4月9日(土)14:00〜16:00@両国国技館
チケットは2月1日からチケットぴあで発売予定だそうですが、詳しくはダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトで、いずれ発表とのこと(まだ載ってません)。

4月10日と12日@熊本
詳しくは蓮華院誕生寺・れんげ国際ボランティア会のサイト

4月16日と17日@石川県立音楽堂
佛性會の主催。抽選制で応募締切は3月15日。電話番号とか載せていいかどうかわからないので、やめときます。『チベット通信』に載っているサイトのアドレスでは何も表示されませんでした。あいかわらず謎だ(笑)>佛性會

2004年12月24日 (金)

チベットの「雪蛙」(ゆきがえる)伝説

snowflog_namtso

寒くなって急に思い出した。
チベット人どうしの真面目な(?)会話です。

「その村は湖の畔にあるんだけど、魚は食べないんだ。魚にはメスしかいないって信じられてるんだって。で、雄のカエルみたいなのがオシッコをすると卵が産まれる。初めて聞いたよ。日本人に言ったら馬鹿にされるかも」
「でも、似たような言い伝えはあるよ」
「あるの!?」
「雪蛙(カンペー)、つまり雪(カン)の中にいる蛙(ペー)。オシッコが薬になるんだ」
「何に効くの?」
「子どものできない女性にいいらしい」
「見たことあるの?」
「あるよ。カイラスをコルラしたときに、雪の上にオシッコが残っているのを見た」
「蛙そのものは?」
「写真でなら見たことがある」
「何色だった?」
「え? ……灰色、だったかな……。他にも見た人は多いよ」
「ふぅぅぅん」

2004年12月23日 (木)

【チベット人死刑囚】そういえば、あのテンジンさんは、その後どうなったの?

四川省成都で起きた爆弾事件に関わったとして死刑判決を受けたチベット人の僧侶テンジン・デレク・リンポチェが本当に死刑になってしまうかも?の件、世界中で死刑阻止の一大Save Tenzinキャンペーンが繰り広げられましたが、その後どうなったんでしょうか?

ちゃんと続報あります。
「北朝鮮・チベット・中国人権ウォッチ−東北アジアの全ての民衆に<人権>の光を! 」にはもちろん掲載済み。↓
【(AFP報道)テンジン・デレク・リンポチェが終身刑または有期刑に減刑?−中国四川省当局者】 中国の死刑囚棟のチベット人僧侶は未だ生存している−中国の刑

drapchi prisonつまり刑務所にてご存命。減刑になるかもということです。とりあえず。
でも、本当は無罪じゃないの?という問題があるわけですが。
←写真はラサのダプチ刑務所(チベット自治区監獄)。詳しくは「ラサ悪趣味紀行」をどうぞ。テンジンさんが囚われているのは四川省の刑務所だけど。

どうでもいですが、JA1KSO局、こちらは元JF2GHWです(Hi)

2004年12月19日 (日)

古代シャンシュン文明? 単なる落書き??

namtso_lake「I Love Tibet!」の紀行コーナーにひさびさの新作「聖湖ナムツォにヤクを訪ねて」をアップ(近いうちにもう1本いきます)。
ナムツォはチベットで2番目に大きい、美しい塩湖。最近は道路事情がよくなって、頑張ればラサから日帰りで行けるようになった。風の旅行社の中村さんのブログ「チベット茶館」の紀行もどうぞ。
ナムツォ、超おすすめ♪ できれば1泊したいものだ。

ナムツォの西には広大なチャンタン平原が広がっている。チベット高原の中でもとりわけ不毛の地だが、辺鄙なだけあって、古い時代のあれこれが残っていたりする。そのひとつがボン教だ。

ボン教(ポン教)はチベットに仏教が入ってくる前からあったチベット・オリジナルの原始宗教。かつて西チベットにあったシャンシュン王国で栄えていたが、仏教が広まるにつれて勢いを失い、奥地へと追いやられた。といってもボン教的な風習は土着の強さゆえ、なくなったわけではなく、仏教の儀式や祭りなどの中にしっかり残っている。

namtso_drawing_animalナムツォ周辺にはシャンシュン文明の残り香とも言えるボン教信仰の跡が見られる。
例えば岩絵。
ナムツォ畔の巨大な岩山の内部には、行者がこもって修行をするための洞窟が大量にある。その壁に、例えば“狩りをする人間”などの絵が描かれているのだが、これがきわめてヘタくそプリミティブで、いかにも古代って感じ。他の地域で見つかっているシャンシュン時代のものとも絵柄が似かよっている。

namtso_drawing_swas仏教徒も巡礼や修行に来るので、「オムマニペメフム」など仏教の一般的な真言や仏教紋様を描いた岩絵も多い。
しかし、「卍」にご注目。
仏教徒は逆卍を正しい向きと考えるが、ボン教徒はを用いる。ナムツォの畔の岩絵にはボン教の卍がかなり見られるのだ。

ボン教ぽい図柄であっても、やけに新しくハッキリ見えるものも多いので、必ずしも1000年も2000年も昔のシャンシュン文明と結びつくわけではないだろう。新しい時代のボン教徒が描いたものかもしれない。あともう一つの可能性は、巡礼に来て“記念に一筆”なんて考えたやつらの落書きかな(笑)。

2004年12月18日 (土)

ギャロン(四川省丹巴周辺)の旅行記@「こけむし」

どの民族もそうだと思けど、一口に「チベット人」といっても地域によって“もともと、どこから来たか”は違う。大雑把に言って、3〜4世紀頃、オリジナルの(というのも変だが)チベット人が西から東へ大移動し、ヤルルン王朝(いわゆる吐蕃)が膨脹した7世紀にもまた大きな移動があった。その間に、もともと住んでいた色々な民族と混ざって、今のチベット人ができたらしい。

チベット高原の東の端にギャロン(嘉絨)とかギャモロン(女王谷の意味)とか呼ばれる地域がある。今の中国風の地名で言うと、四川省の甘孜州丹巴県やアバ州馬爾康県・金川県周辺。ここに住むギャロン・チベット族(嘉絨蔵族)なる人々は7世紀以降に“チベット化”されたと言われている。元が違うのだから、他の地域のチベット人とは顔も言葉も風習もずいぶん違う。

ギャロン一帯はチベット側から見ると東のはるか辺境だが、成都からはかなり近い。最近は道路もよくなって、ちょっとした山奥の秘境として中国人観光客も多く訪れるようになった。有名景勝地である四姑娘山に近いという地の利もあり、地元も観光開発に力を入れているようだ。風の旅行社のツアーのコースにも入っている(来年も入るかな?)ので、よろしくです(笑)。

gyarong_towerブログ「こけむし ohmarikokemshi's place」(by ohmarikokemsy)の「チベット旅行記」のカテゴリに、今年夏の成都〜馬爾康〜丹巴の旅行記がある。“建築”がご趣味とのことで、この旅行記もその種の特殊な目的のツアーの記録。そう、四川盆地からギャロンにいたるこのエリアは、谷間ごとに特徴のある石づくりの立派な建物が見られ、建築好きでなくとも目を奪われること必至。特に丹巴周辺は、建物はもちろん、風景そして女性が美しいことで知られている。さらに、右の写真のような謎の(でもないけど)巨大な石塔があちこちに立っていて壮観だ。

ちなみに、このエリアについては、現地在住の大川健三氏(四姑娘山自然保護区管理局特別顧問)によるサイト「蜀山女神 四姑娘山」「ヒマラヤ横断山脈の女王谷—西南中国の金川流域— 」が詳しいです。写真がキレイです! リンクも充実。
一般に手に入る本でギャロンのことがちゃんと書いてあるのは『チャン族と四川チベット族—中国青蔵高原東部の少数民族』(松岡 正子著、ゆまに書房)しかないだろうなあ。

2004年12月17日 (金)

チベット〜ヒマラヤを席巻する、あの「オムマニペメフム♪」の歌がネットで聴ける

ommani_boddhanathここ数年の間にチベットやインド・ネパールのチベット圏を訪れた人なら、必ず耳にしたと思われるのが、癒し系のゆったりとした伴奏にのせてひたすら観音菩薩のマントラ「オムマニペメフム、オムマニペメフム」を繰り返す曲だ。
[オムマニペメフムとは何かについてはこのページ(チベットハウス内)がわかりやすいです]

僕自身は2001年秋にカトマンズで聴いたのが最初だと思う。CD屋のスピーカーから大音量で流れるこの曲がボダナート(右の写真)一帯に一日中鳴り響いていて、夜になっても頭の中でBGMとして鳴り続けるのだった。

ommani_cd_smallこの曲の入ったCD“Tibetan Incantations -- the meditative sound of Buddhist chants”をカトマンズで買ってはみたものの、明らかに海賊版。ジャケ写に思いっ切りモアレが出てるし、小さな文字は不鮮明でよく読めない。そんな文字の中にあった人名の英文表記から、台湾で作られたんじゃないかと判断した。帰国後調べたものの、当時はネットでは何もわからなかった。

その後、「オムマニペメフム♪」はチベット〜ヒマラヤ一帯を席巻。ラサはもちろん、四川省の成都でも耳にした。
先日、広島の大聖院の砂マンダラ製作の場でこの曲が流れていたので、あらためて検索してみたら、今ではあちこちで普通にネット通販で買えるようになっている。
たとえば、amazon.co.jpだとUS版とUK版があって安いUK輸入版はこちら。試聴もできる。
なんと、http://www.sternsmusic.comというサイトでは、全曲(約25分×3曲)最初から最後までmp3で試聴(?)できてしまう。ずいぶん気前がいいですね〜♪(←間違い:1分ずつしか試聴できません! 別に気前よくない。)台湾人あたりが携帯の着歌にしてたりするかも?

2004年12月16日 (木)

【擁護】『チベット語単語集』はパクリ!? 偶然似たんだよね?(2)( ● ´ ー ` ● )

前回の続きです)
ウワサの『日本語・チベット語単語集』の編著者は、色々な言語の本を出しておられて、どうやら語学の達人らしい。監修者もなしに単語集をつくってしまうのだから、チベット語のほうも相当のものだろう。

「単語集」の参考文献としてあげられているのは、自著を除くと
A Tibetan English Dictionary (H. Jaschke)
Lexique sanskrit-francais (Gerard Huet)
English-Tibetan Dictionary of Modern Tibetan (Melvyn C. Goldstein)
岩波仏教辞典 第二版 岩波書店
の4冊。JaschkeとGoldsteinは定番なので当然だ。なるほど英語の辞書を“参考”にしたのにふさわしく、「シティセンター」「ヌードル」「ベリー」「ロザリオ」といった、かなり意外な見出し語が見られる。K辞書にはないオリジナリティだ。

しかし、簡単に手に入るK辞書や星先生等の日本語による既存の業績を、どういう理由でか参考にしなかったことになっているのは不思議不思議。て優香、参考文献に入っていて内容が似てるならわかるけど、そうじゃないから、あらぬ誤解を呼んでしまうんだと思う。

あと、巻末に25ページも割いて仏教用語集をつけるほど仏教を重視してそうなわりには、秘密集会に「ひみつしゅうかい」と読みを振ったり、デムチョクの見出し語が「楽勝(らくしょう)」になっていたりするのは残念!だ。
「見出しの日本語にはひらがな読みを付け、在日チベット人にも理解できるようにしました」(「はじめに」より)という編者の高い志に見合った校正(校閲)者・編集者に恵まれなかったんだろうと思う。スペルのミスも少なくないが、稀少言語だからオペレーターさんの中の人も大変だ。

これ以外にも、ポタラ宮が「ダライ・ラマの冬の離宮であった」とか、ジョカン寺が「唐の文成姫を迎えるためにとくに築かれた」とか、斬新な記述が随所に見られて、ツッコミどころには事欠かない。1ページあたり1カ所はいける。ある意味、旅先などで楽しめるかもしれないな♪

(おわり)

2004年12月14日 (火)

【擁護】『チベット語単語集』はパクリ!? 偶然似たんだよね?(1)( ● ´ ー ` ● )

酷似する書籍で書かれている通り、いまチベット業界でウワサの『日本語・チベット語単語集』(国際語学社、以下“単語集”)の見出し語は、たしかに『チベット語辞典 蔵日・日蔵』(カワチェン、以下“K辞書”)に似ていて、“なっち”状態とまで言われている。
↓ほら

dic_two

うぅぅぅん( ● ´ ー ` ● )
でも、辞書だからね。
似てしまってもやむをえない、という側面もなくもなくもない。あれ?

僕はライターをやっているので、資料を渡されて原稿をまとめるということを常日頃からやっている。新たに取材する時間も金もないから既存の資料を膨らませて書けというパターンは、情けないことに結構多い。元の資料が著作物である場合、あからさまに似てしまうのはマズイので、色々と工夫をする。しかし、あまりに資料が少なかったり、まとめるまでもない単純な事柄だったりすると、工夫の余地がないこともある。それでも何とか切り抜けねばならない。

テク(1) 微妙に言い回しを変えてみる
「チャン(麦や米から作る醸造酒)」(K辞書)→「チャン[麦、米から作る酒]」(単語集)
テク(2) 並記してあるものは順番を入れ替えてみる
「吸う(乳や血などを)」→「吸う[血、乳などを]」
テク(3) ちょっとした説明を加えてみる
「大威徳」→「大威徳[すぐれた徳性]」
(説明を加えるだけの知識がないと墓穴を掘る)

ちゃんと出典を明記して引用すればいいのだが、それをやると引用記号ばかりになってしまうし、大量に拝借する場合はやはり許可を得なければならない。そんなのは面倒だし、恥ずかしいし、商品価値が落ちる。だから、さも全部調べましたみたいな振りしてバレないように切り貼りするわけだ。そうやって作られた本は数多いし、間違って何万部も売れてしまうことだってある。いや、単語集じゃなくて、自分の仕事のことを言ってるんだけどね。
(なんと、つづく(^^;)

2004年12月12日 (日)

チベット一オシャレなお土産物屋はここだ!…ラサの「ドペンリン」

ラサでちょっとシャレたハンディクラフト系のお土産を買おうと思ったら蔵医院路のペントクぐらいしかなかったが、今年ようやく、もうひとつの選択肢が登場した。

dropenling1「ドペンリン」(Dropenling)はモスク(ギェル・ラカン)の近く、『旅行人ノート チベット第3版』p.47の地図でいうと「古芸建築美術公司」と書いてある所にある。バルコル内(第2コーナーと第3コーナーの間の内側)にショボい屋台が出ているのを見かけた人もいると思う。

「ドペンリン」は、チベット人に手工芸品製作の職場を提供し、チベット文化の保全につなげる、という意図で展開されている西蔵扶貧基金会の援助プログラム“Tibet Artisan Initiative”の非営利事業の一環。チベット各地の工房で作られたチベットちっくな手工芸品が売られている。英語でよければ、詳しくはTibet Artisan Initiativeのサイト(http://www.tibetcraft.com/)でどうぞ。

ペントクもそうだが、ポイントは、
・チベットぽい
・中国ぽくない
・洗練されたデザイン
・チベット人のためになりそう

最近のチベット土産は、最大の買い手である中国人(漢族)に合わせる都合上、デザインがどうしても中国人好みになりがち。ヘタしたら中国の工場で中国人が作ったものをチベットに持ってきて売っていることがある(本当)。
チベット人も中国人も、色合いやデザインについて言えば、もともとたいしてセンスに違いはないんじゃないかという気もするので(笑)、放っておくと限りなく中国風になっていくだろう。
おいおいそれじゃ困るYO!という人が欧米にいて、頼むからデザインだけはやらせてくれ(金は出すから)……という経緯で、ペントクやドペンリンのような、ちょっとオシャレでシブめなものができあがっているのだと思う。思うだけだけど。まあ、好みなんて人それぞれだから、こんなのはつまらんという人もいるんだろうな。

ロケーションはよくないものの広々しているし、商品のバラエティーはたぶんペントクより豊富。バッグとかドアカーテンとかカーペットとかクッションとかセーターとか紙製品とか物入れとかetc...。どんなものがあるかは、このあたりのページがわかりやすいだろう。もちろん英語も通じる。

なんといっても、某キリスト教系→仏教モノ禁止と噂されるペントクと違い、仏教系のデザインがちゃんとあるのが嬉しい♪ ていうか、ないほうが不自然だよな。
なんかペントクとばかり比べて気の毒だが、従業員の愛想もよくて、やる気が感じられるので、ついつい情が移る。こうなったらヤクのぬいぐるみカレンダーも作って、ネット通販もやってほしい。

2004年12月 9日 (木)

『仏教崩壊』(児玉修・箸、文藝書房)

bukkyo_hokai.jpg『仏教崩壊』(児玉修・箸、文藝書房)を読んだ。

「西暦2020年。全ての仏教教団が消滅し、日本の仏教は新たな歩みを始める。これは、崩壊の彼方に垣間見える仏教再生の物語である。この書には、宗教者への熱いメッセージが籠められている。」
というのがオビの文句。ただでさえ無宗教化が進む日本で、僧侶・寺院・葬儀にまつわる「金」絡みの不信感がインターネット上で爆発し、寺離れが急激に加速。観光寺院でさえやっていけなくなり、末寺→本山の上納金システムに支えられてきた××宗△△派という類の「教団」組織が破綻するという小説だ。

冒頭は京都で開かれようとする世界宗教者会議。参加者の中に葬儀会社が含まれていることに、海外からの参加者が首を傾げるところから始まる。分科会では、チベット仏教の僧侶が『死者の書』ブームについて「日本人はSFを読むように『死者の書』を読んでいたのです」なんて語ったりもする。

ネタバレになってしまうので「再生」のほうは書かないが、システムが崩壊したために僧侶は個人として庶民や社会に接することになる。話がうまくいきすぎの感はあるものの(笑)一部の僧侶たちが立派に再生に向かって歩み始める一応のハッピーエンド。ちょっとした宗教改革が起こったわけだ。仏教が再生するのかどうかはよくわからないが、宗教者としての僧侶という存在は息を吹き返す。

著者の経歴は「1947年生まれ 同志社大学卒 映像工房サンガ代表」とあるだけだが、会社の名前や所在地(京都)からして仏教業界の映像制作会社の方か?と想像される。小説とはいえ、かなり実体験が盛り込まれてるんだろうなぁ。本文中に「臨応宗」とか「日妙宗」とか「天厳宗」とか全然仮名になっていない仮名が登場するのもまた楽しい。

それにしても、この「宗教改革」では暴力沙汰は何ひとつ起こらない。なんとなく物足りない読後感はそのせい? 実際こんなことになったら何か起こるのでは?——そんな(殺伐とした)気分になったのは、『毛沢東の私生活』(文春文庫)を並行して読んでたからだろうな(笑)。

2004年12月 1日 (水)

チベット・ラサ発のサイト“mmai's”

mmai.jpg
mmai's http://www5f.biglobe.ne.jp/~mmai/
ラサに住むmmaiさんが、カメラ付き携帯で撮った写真と折々の思いを綴った文章とで構成するサイトです。けっこう濃いので普通の滞在記のつもりで読み始めるとアタる可能性があります。場所柄(?)詳しくは書きませんが、まあじっくり読み込んでプロファイリングしてみてください(笑)。更新が楽しみです。

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